スバル360とは

スバル360(SUBARU 360)は、富士重工業が開発した軽自動車である。1958年から1970年までのべ12年間に渡り、約39万2,000台が生産され、とても人気があった車です。スバル・360が市販車両として公式にプレス発表されたのは、1958年3月3日の昼12時、会場は東京都内の千代田区丸の内にあった富士重工業本社でした。スバル360のプレス発表というイベントに慣れていなかった富士重工のスタッフは、スバル360の、実車無し、カタログのみで発表を済ませようとしていたようですが、大挙参集した報道陣から「実車はどうした」と催促され、急遽2台のスバル・360がトラックで伊勢崎から運ばれることになったそうです。スバル360を、夕方4時まで辛抱強く待った記者たちは、トラックから降ろされたスバル360を代わる代わる運転し、その乗り心地と走行性能を体験することになったわけであります。

スバル360の歴史について

スバル360の反響は著しいものがあったそうです。国内の自動車メーカー各社からも関心を持たれ、スバル360は、日本国内のメディアのみならず、イギリスの老舗自動車雑誌「オートカー」をはじめとする欧米の自動車雑誌にも取り上げられるなど、当初から強く注目される存在となったそうです。スバル360の販売1号車の顧客が松下幸之助であったことは有名な逸話でありますね。スバル発売に際してはそのディーラー網整備から始めなければならなりませんでした。このため、スバル360の販売店については既存のスクーター代理店、既存の四輪車ディーラー、商社などを利用して各都道府県に手配されました。スバル360の当初のディーラーは、東京地区では主として伊藤忠商事(1958年5月より販売)、また大阪地区では高木産業(1958年7月より販売)で、スバル360は全国一斉販売開始ではありませんでした。(販売網整備が進んでいなかった時代ゆえにやむを得ないことではあったようです)。

スバル360の中古車について

スバル360の中古車は1958年型の販売台数は385台でありました。この数でも当時の軽乗用車販売数としては大変な実績であったのですが、スバル360が実用に堪える性能が市場から評価されて売れ行きを伸ばし、1961年度型は17000台を突破しました。スバル360を比較的短期間で販売網を整備し、また姉妹車として、新たに開発した本格的軽4輪トラックスバル・サンバーを1961年に発表してこれが大成功を収めたことで、スバル360は新規参入メーカーにとっての障壁となる販売網の弱さを改善できました。これによって、四輪車メーカーとしての基盤固めができたことは、富士重工業にとってスバル360は幸運だったといえるでしょう。しかしその後、スバル360の中古車にかわり、ホンダN360が発売された以降は販売が伸び悩み、軽自動車市場の販売台数首位をホンダに譲らざるを得ませんでした。

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